
写真とは、視点の芸術である。
芸術でなくとも、仕事の写真も趣味の写真も全て行き着くところは
その人の視点だ。
絵は真っ白なキャンパスにゼロから創造するものだ。
写真は何を見て、どう感じて、どういった手法で切り取るかが全てになる。
写真講座を主催して10年近くになるが、アマチュア写真家に多いのが上にある中の
「手法」のみに固執している人が圧倒的に多いという事だ。
それはそうだろう、講座やsnsで学べるものは「手法」だからだ。
何を見てどう感じるかは、その人の生き方で変わってくるものだ。
今までの人生が大きく影響する。
僕が思うに、面白い生き方をしている人は写真表現においても突出したものを持っている。
周りに数人いるが、残念ながらサラリーマン気質の人は誰もいない。
ミュージシャン、美容師、モデル、メイクアップアーティストなど自身の生き方を持っている人達がやっぱり多い。僕がインスタを始めて最初にフォローしたのがミュージシャンで、雑居ビルの屋上ばかり撮っている人だ。
オモロイ人はオモロイ写真を撮る。
何を見て何を感じるか?
この、生き方に向き合わなければいけなくなる視点の大前提はめんどくさくて考えたくもないだろう。
だから手法だけ覚えて写真家です、と言い切っている人が多い。
趣味の世界ではそれでも、楽しく過ごせればいいと思う。
反対にプロになりたい人は、そこはスルーできないよ。
視点は仕事の写真では絶対必要な要素。
手法やライティングのテクニック、ましてやレンズやカメラの性能、、、
そんなものはどーでもよくて、後からいくらでも習得できる。
ただ、独自の視点は簡単には生まれない。
それを持ってない人間はプロにならないほうがいい。
うちの女性スタッフが、カメラマンになりたいから現場に連れて行ってくれと懇願したが、
一年断り続けた。それでも諦めないのでアシスタントとして連れて行き出して2年弱。
ほぼ、カメラマンとして僕の周りの人間が認めはじめている。
どんなに頼まれても、どんなに頑張っていても、彼女に「独自の視点」がなかったら絶対に
仕事の現場に連れていくことはなかっただろう。
彼女には何も無い。技術も知識も経験も皆無だ。
ただ、「面白い視点を持っている」その一点だけが希望だった。
生き方がオモロイ人は、オモロイ写真を撮る。
それはものの見方全体だ。
例えば多くの人はニュースでいろんな情報が入ってきた時、そのまま受け入れるだろう。
その一つ一つに?マークを浮かべて違う角度で物事を見る人が何人いるだろう?
違う角度でものを見ると言うことは、正解不正解に関わらず大事な「無駄」なことだ。
そんなところから、人と違う視点が生まれてくる。
それが必要ないと思う人は、高価なカメラと編集作業で整えた写真を撮って喜んでいればいい。
綺麗な薄っぺらい人物写真が、肩を怒らせて闊歩できる時代だ。
それも悪くない。
プロフェッショナルがどの分野も少なくなってきたのは、おもろい人(生き方が)少なくなったという事だ。
(知識だけ豊富なちゃんとした人)は講座にどうぞ来てください。
ただ、自分の仕事を託す人間は(無知で空回りするアホな奴)以外絶対に有り得ない。
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